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2021.06.12

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カープを『 赤ヘル 』に変えた当時の監督は一体誰? ~ マツダのソウルレッドと『 赤ヘル 』 ~

5月のブログでは、~ 社会現象を起こしたクルマ ~ 『 赤のファミリア 』の話しでしたが、今回も赤つながりの話題です!!少しだけお付き合いください。m(__)m

先に少しマツダとカープの話しを、〝70年間は草木も生えぬ″ と言われた広島に、プロ野球チームが誕生したのは、終戦からわずか4年後の1949年です、他球団のような親会社を持たないカープは財政難が続いていました、1962年にカープの力になろうと東洋工業(現在のマツダ)の松田恒次社長が球団社長を引き受けましたが、自動車業界も大変な時代です!!しかし恒次社長は「東洋工業は広島で生まれた地場の企業として、これまで地元に大変お世話になってきたわけですから、広島市民唯一の楽しみが消滅するのを黙って見過ごす訳にはいかんと思ったのです。もちろん、本業が大変な時ですが、私としては地元へ恩返しをするための当然の選択なのです」恒次社長はカープ悲願の初優勝見届けることなく、1970年に他界するが、広島中を歓喜の渦に巻き込んだあの劇的な優勝も、その後の快進撃も、その胸の内では確信していたのではないだろうか。・・・ マツダ百年史エピソード編より

~ それでは本題に入りたいと思います ~

マツダが命名権を取得・更新している、広島の市民球場『 MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島 』を本拠地として活躍している球団は広島東洋カープですが、「赤へル」と言われているカープのヘルメット色はマツダの「ソウルレッド」と同じ色です。2012年12月に行われた3代目新型「アテンザ(現MAZDA6)」の発表会に招かれたカープ松田元オーナーが新色のソウルレッドプレミアムメタリック見て、「赤だね。ヘルメットにどうだろう」という会話を交わしたことが、「赤ヘル」がマツダソウルレッド色になった始まりです。

では、さかのぼって紺色の帽子やヘルメット色を赤に変えて【赤ヘル】を誕生させたのは、一体誰だったでしょうか??

1:山本浩二

2:ジョールーツ

3:阿南準郎

4:マーティブラウン

かなり古い話しですみません。 <(_ _)>

答えは ・・・ 2:ジョールーツ監督!!

ジョールーツ氏が1975年に一軍打撃コーチから監督に就任し「燃える闘志」を表す意味を込めて、ヘルメットと帽子を赤に変更。日本球界初のメジャーリーグ出身監督として話題を集めました。

シーズンでの戦いぶりが期待された年でしたが、日米の野球の違いから審判とのトラブルをキッカケとして自ら辞任。この後 古葉監督がコーチから監督に昇格、悲願の初勝利を飾りました!!

少し話が長くなりましたが、マツダ『 赤のファミリア 』につづく『 赤ヘル 』の話しでした。

最後までお付き合いいただきありがとうございます !(^^)! 次回赤の話しは・・・・・。

 『 赤ヘル 』をマツダのソウルレッド色に変える切っ掛けとなった3代目アテンザの新型MAZDA6の「ソウルレッドクリスタルメタリック」を、是非お近くの北海道マツダショールームへ見に来ていただければ幸いです。

北海道もまだまだコロナ禍ではありますが、「新北海道スタイル」安心宣言に基づき北海道マツダは「7つの習慣化」に取組んで参ります。お客様、従業員、取引先様等の皆さまの安全・安心を第一に考え政府及び道・市の指導に基づいた感染予防対応を徹底して取組み、カーライフの安心を継続してご提供できるように社員一丸と成り取組んで参りますので、お客様にはご不便をお掛けすることもあろうかと存じますが、何卒よろしくお願いいたします。

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